十人十色の私曲集

ブログはアメリカン

実録「住宅営業物語」 懺悔編

約3年間、営業生活を続け退社しました。

契約件数は、合計6件。

 

あれから30年

ローンは、無事に終わっているだろうか?

 

その当時、目先の返済額の低さから安易に薦めていたステップ返済

自分自身その後の日本経済が萎んで行くとは想像もしていませんでした。たぶんお客様もそうだったかもしれません。

 

本来なら全ての着工の引き渡しまで担当営業として関わりたかったのですが、出来なかったことが心残りです。

 

担当を同期の社員に引き継いでもらいましたが、その後知る限り1名しか残りませんでした。

元住宅メーカー勤務の中途採用が多い職場でもありました。

 

 

その当時空き地だったところに、家が建っているのを見ると、住宅メーカーが激しくしのぎをけずったんだろうな、自分もその世界にいたんだなと懐かしく思います。

 

今でも運転している時、自分が契約したお客様の家を通りすがりに見ることがありますが感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

 

最後に不思議な話をひとつ

管理者養成学校を修了し、のどの痛みがなくなったころには、ある1名以外元のテンションに戻っていきました。

そのままのテンションを維持し続けたピュアな心の持ち主、彼の名は「イノさん」と言います。

 

電話の応対も管理者養成学校スタイルでした。

地元出身でなかったため富士宮地区のことが良くわかっていなかったのか、ある日の飛び込み営業では組関係のお宅に行ってしまったこともありました。(家見て気づけよ)

 

そんな「イノさん」に起こった出来事です。

昼の飛び込み営業で回っている時のこと(いつものハイテンションだったと思います)

呼び鈴を押すと玄関からおばあさんが出てきて対応してくれたそうです。

宣伝トークも終わり「若い者がいないから また来てよ」と言われたそうです。

 

もちろん「イノさん」は、その日の夜訪で対応してくれたおばあさんの家へ行きました。

 

帰ってきて「イノさん」が一言

「先週おばあさん亡くなったって・・・・」